IGNインタビュー: UOが与えたRPGへの影響とゲーム業界の今後

How Ultima Online Changed RPGs Forever and the Future of RPGs IGN Unfiltered 17, Episode 3



IGNのリチャード・ギャリオットインタビューの抄訳です。UOを中心に自身のゲームキャリアとRPGの今後を語っています。

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IGN:
1997年に発売されたUOは今日のMMOの先駆けとなったわけですが、1996年にはMeridian 59という3DMMORPGも誕生していました。しかし、UOプロジェクトの構想は、当初はEAに否定されたそうですね?

Richard Garriott:(以下RG)
私は、オンラインRPGの起源はテレタイプを使ってのD&Dのマルチプレイにあると考えています。マルチプレイ仕様のUltimaの構想が持ち上がり、Multimaというプロジェクトネームが付けられた段階では、当時のインターネットの技術環境では理想通りのゲーム仕様を実現することが難しいと我々は考えていました。この技術的に難しい、というのは、当時はインターネットの利用は大手通信会社のみがサービスを始めた段階であり、そして非常に高価なものだったので、(サーバー環境の整備やユーザー課金の点で)ビジネスモデルの確立が難しかった、というのが正確な意味です。

しかしその後インターネットが普及して構想が実現できそうなレベルに差し掛かったときに、後のUOディレクターのスター・ロンが"Now the time."とGOサインを出しました。丁度そのころ、ネット環境も一般PCのマシンパワーもMultimaの構想水準に達してきたのです。EA内部ではゲームの企画段階のGreenLightなプロジェクト企画書を、誰でもセールスマーケティング部署に提出して実際にレビューを受けることができます。そこを通れば製品化するための開発段階へと移行します。レビューでは技術的にコンセプトの実現が可能なのか、マーケットのターゲット層は誰か、そしてゲーム販売における最終的な利益総額はいくらになるかといったことがレビューされます。

Multimaの企画段階での最終販売本数見込みは15000本ということでEAにレビュー書類を提出しました、しかし、EAの上層部ではUltimaブランドを使うのなら3万本は売れ、ということでした。結局その日のセッションではMultimaの企画はボツ、ということになり、私は家路につくことになったのです。

そしてその6ヶ月後、インターネットを使ったゲームが確実に有望視されるようになった時期に、もう一度Multimaの企画をEAに提出しました。そして結局"興味ないね"の一言でボツです。

さらに1年後に、3度目の正直で企画を提出(時期としては94~95年頃)。またしてもボツ。

私はセールスマーケティング部を相手にするのはやめて、当時のEAの社長Larry Probstに直接掛け合うことにしました。

"ラリー、Ultima 5やWing Commanderの企画には1000万ドルも開発費を出すのに、なんでこの新企画(Ultima Online)を何度もボツにするんだ。アルファ開発のための予算をまず25万ドル承認してくれ。この予算を使って、セールス的に納得できる結果を出す"

そして提出書類に"開発チームが予算超過することも許可すること"の一文を添えて予算承認を要求。そして通りました。開発の段階へとやっと進んだのです。この段階で、すでに企画名はUltima Onlineになっていました。

OriginにはUltimaやWing Commanderといった看板タイトルがあったので、やってきた新人を見かけるたびに開発チームに勧誘しました。Ultima Onlineにおいてはマルチプレイヤー用のダンジョンビルダー、というニッチな需要があったので、ほかのチームから声のかからなかった人材も、首尾よくチームに迎えることができました。

ほかの開発チームがオフィススペースの多くを占めるなか、UOアルファ開発チームもひっそりと開発を開始しました。
まず、第一の課題は、クライアントプログラムの配布方法でした。当時のインターネットの回線はとてつもなく遅く、ゲームプログラムをダウンロードするのは現実的ではなかったのです。そこでテスターから5ドルの郵送料をとってCD配布をすることにしました。

次にEAのサイト(当時は企業のウェブページ自体がまだめずらしい時代でした)のトップページでUltima Onlineのベータテスターを募集したところ、初日でいきなり50000人の申し込みがありました。
EAの要求した最終販売本数の30000人を、初日に突破してしまったわけです。その日、開発環境が一変しました。当初はどこからも厄介者扱いだった企画だったのに、EA中の部署からマネージャーが私のところへやってきて、開発の援助を約束してくれるまでになったのです。私はとりあえず彼らの援助を体よく断り、実際にゲームを送り出すことに専念することにしました。
EA史上、このUO有料ベータテストの瞬間最大販売本数の記録は、今日もまだ抜かれていないはずです。

UOのリリース後、Wing Commanderのオンライン版も開発が予定されていました。しかし、EAはUltima Onlineの成功は20年のブランドの積み重ねのおかげであって、Wing Commanderのようなまだ新しいタイトルのオンライン版は時期尚早だと却下しました。UO2の開発に着手し、さらにUOのコンテンツアップデートでロングランな収益を出せ、というのがEAの意見でした。私はそれに反発すると、Wing Commanderオンラインのチームは解散され、後のソニーのスターウォーズギャラクシーオンラインチームへと彼らは移籍しました。また、それから2年後、UO2の開発が予定より遅れているとの理由でUO2はキャンセル、そして我々はEAから解雇されることになります。まさにUltima Onlineのピークの時に、我々は追い出されたのです。

IGN:
UOロンチから20年が経過していますが、まだUOのサービスは現役稼働しています。
UOが20年ものロングランを達成することを、あなたは予想していましたか?また、ロード・ブリティッシュのキャラクターの権利はあなたが保持しており、今のUOにロード・ブリティッシュとしてログインすることができますが、今までLBとしてログインしたことはありますか?

RG:
ここまでのロングランセールスは予想していませんでした。しかし、私はそれをとても誇りに思っています。
ORIGINが完全にEAに吸収されてしまったときにUltimaの版権はEAに移行しましたが、ロード・ブリティッシュのキャラクターの権利は私がホールドすることができました。これは私の開発者としてのペンネームなので、権利を買い取ることはできなかったのです。
そして現在もUOのインゲームオフィシャルキャラクターとしてロード・ブリティッシュは存在し続けています。ただし、ロード・ブリティッシュとして何かするときは、EA側に事前通知する、というのが我々の唯一の取り決めでした。

今から何年か前に、EAのオフィシャルサーバーでプレイする機会がありました。また、オフィシャルサーバー以外の、ファン運営の"グレーなシャード(UOエミュレータサーバー)"でも遊ぶ機会がありました。今でもファン達と一緒にロード・ブリティッシュとしてプレイすることができるのは、非常にクールなことだと思います。

IGN:
UOではプレイヤー同士の結婚や、あのLB焼殺事件など、様々な事件が世界中で起こりましたが、もっともあなたにとって印象深いイベントは何でしたか?

RG:
UOサービスロンチ直後は、ゲーム内の様々な機能が不完全な状態になっていました。そこで大急ぎでコンテンツの詰め込みを我々は行いました。ユーザー側は当初の我々のドタバタした運営にとまどってはいましたが、ゲームを去ろうという人は少なく、非常に情熱的にゲームをプレイしてくれていました。そして、その情熱はゲーム内でのゲーム環境改善への抗議、という形で我々に返ってきたのです。
たとえばロード・ブリティッシュ城内に酒を飲みまくってプレイヤーが殺到してゲロを吐きまくったり、一か所に大量にプレイヤーが集まってわざとサーバーに負荷を与えたり、といった行動が行われました。

こういった行動は我々の運営に対する直接的な抗議であり、このようなダイレクトな形で、しかも情熱を伴った反響を知ることができたのは、非常に感銘を受けましたね。

またあるとき、自分のキャラを不可視状態にして、街へ出かけたことがありました。そこではあるプレイヤーが釣りをしていて、魚を釣っては近くの地面に魚を置く、という作業をずっとしていました。それをずっと私は観察していたのですが、そこへある騎士風の恰好をしたプレイヤーが釣り人に近づいてきました。

騎士はロールプレイ風のしゃべり口で、おお釣り人よ、ともに私と冒険に出よう。ここにキミの装備も用意してある、と言い、地面に高価そうな装備を次々とおいていきます。
しかし釣り人は、そんな大層な荒事はまっぴらゴメンだ。そんな装備は俺にはいらないよ。ムギワラにシャツに短パン釣り竿とそれから良い天気があればそれで十分さ。日が暮れたら魚を街で売って、それから酒場で一杯ひっかけるんだ、と言って申し出を断ります。
それを聞いた騎士は地面に置いた装備品を回収して去っていきました。

私は非常にその光景にショックを受けました。双方ともロールプレイをしていて、そしてそういった光景がシャードの至るところで繰り広げられていたのですから。さらに、PKerの一部でも、そういったロールプレイPKを行っていることも知りました。

IGN:
EAの退社後は?リベンジなどは考えませんでしたか?

RG:
いいえ(笑)
退社時の取り決めで、退社後1年間は既存の競合のゲーム会社での活動を自粛する契約になっていました。
そしてある時、友人たちと酒を飲んでいるときに、既存の他社がダメなら自分で新しくゲーム会社を作ればいいじゃないか、という話になり、その当日にdestination-games.comのドメインを取得しました。スタートアップを行うことにしたのです。
"Origin-to-Destination"というわけです。この時点で自分のゲーム開発者としてのキャリアは20年になっていました。私はこれを節目に自分のキャリアについて振り返る期間を自分に設け、実際的な活動は控えていました。休みを入れるにもちょうどいいタイミングでもありましたから。

それから数年後、新規タイトル開発を発表の6ヶ月前に、業界のさまざまなところへ人材募集を行うことを考えていました。そして初期雇用人員は30~40人ほどを考えていました。我々はDestination-Games設立1周年と同時にこのゲーム会社の存在を大々的に発表する予定でしたが、そのちょうど1週間前にEAは社内ブランドとして残っていたORIGINチームを完全に解散、全員を解雇したのです。
我々(リチャードの兄、ロバートとともにDestinationGamesを共同設立)はこれは"我々の会社を返してもらう"機会と考え、元ORIGINのメンバーに雇用を申し出ました。それから2週間後に韓国のNCsoftより声がかかりました。リネージュというUOより規模の大きいタイトルを抱えるビッグカンパニーです。当時NCsoftはロサンジェルスに拠点を設立し、アメリカのゲーム市場にも参入を検討していましたが、当時韓国のゲーム会社で働きたいと考えている人材が少なかったために、アメリカ市場を攻めあぐねていたときでした。

彼らとの最初の会合で、DestinationGamesごとNCsoftの傘下に入る話がまとまりました。これで自身のゲーム会社を身売りするのは2度目ということになります。

IGN:
それからタビュラ・ラサのプロジェクトのマネージャーとして活躍されるわけですが…その前に、20年間付き合ってきたUltimaシリーズとの離別に関してはどうお考えですか?

RG:
初期のUltimaシリーズ(1~3)は自分ですべてプログラムを組み、まさに自分のオリジナルクリエーションと呼べる作品なのですが、真の意味で自分の一番の誇れるオリジナルクリエーションは、徳の概念を組み込んだUltima 4です。1~3のUltimaでは様々な要素を映画などからネタを拝借してきた部分が多かったのですが、4の世界は私がすべてクリエイトしたものです。
しかし、中世ファンタジーのRPGを手掛けることは、EAのUltimaブランドと真っ向から競合することになるので、私はタビュラ・ラサのマネージングのほか、NCsoftのタイトルの開発協力を行いました。
そのころ、すでに当時のゲームユーザーの80%は私がUltimaを作ったころには生まれていない世代でした。そういった新しい世代の意見を聞きながら、ゲーム作りを行っていましたね。

IGN:
では次に、Shroud of the Avatarについてですが、その前にまず、2008年11月にNCsoftを退社時にNCsoftに訴訟を起こし、そしてのちに勝訴していますね?

RG:
タビュラ・ラサのマネージングをしていた頃に、宇宙旅行にいく機会が訪れました。私はNCsoftの社長に、民間宇宙飛行士として宇宙旅行にいく、という理由で休暇を申請しました。また、宇宙旅行の際についでにタビュラ・ラサのコマーシャルもタイアップでやるという約束もしています。

そして宇宙旅行から帰還して、3日間ほどベッドの上でぐったりしていた折に、NCsoftの社長が解雇を言い渡したことをアメリカ支社からの連絡で知りました。体が回復してから、本社で話をできないかといったところ、ダメだいますぐ(解雇)だ、との返事しかもらえませんでした。
そしてすでにリチャード・ギャリオットが自筆したことになっている、"新たな目標のために退社する"旨が書かれたアナウンスメントの発表原稿もすでに完成している、と言われました。もちろん発表文には解雇ではなく"New Departure"という表現が使われていましたけどね。この原稿はNCsoftのPR部署が作成したもので、私は一切タッチしていないものです。

自筆でない退社声明を勝手に発表され、しかもその実際は解雇でストックオプション行使の権利も制限されるというものでした。訴訟では、退社声明はリチャード自身が書いたかどうか、という点が争点として争われました。

NCsoft側の言い分は、解雇を言い渡したことはない。退社声明はあなたが書いたものだ。NCsoftはそれを受理して発表しただけだ、というものでした。しかし、私がベッドの上で解雇の連絡を受けたとき、それを取り次いでくれたスタッフのEメールに、社長自身が経営戦略のためにリチャードを解雇する、と発言した証拠が残っており、これが決めてとなって最終的に勝訴しました。

IGN:
SotAはUltimaの精神的後継作として位置づけられているのですか?

RG:
もちろん。それは今までずっと言ってきた通りです。
私のデザインするゲームが他のMMORPGと違うのは、キャラレベルがベースのゲームデザインではないということです。レベルベースのデザインとは、攻略するダンジョンごとに適正レベルが設定されており、それをクリアするレベルでないとそのダンジョンに入ることさえできない、というデザインです。、また、たとえクラフト要素があるにしても、それは全て戦闘を補助するためのコンテンツとして存在しています。我々の目指すゲームデザインはそういったものではありません。(※当段落訳を一部修正。4/9 19時頃)

Ultimaから踏襲されるゲームデザインとは、すべての世界のディティールを作りこみ、目に見え手に触れるものすべてにインタラクトができるということです。例えば、ゲーム内にある扉はすべて開けられる、というわけです。他のゲームのような飾りのグラフィックではなくてね。
ストーリーも悪者をやっつけるという筋のものではなく、より複雑なものを志向しています。

IGN:
SotAはクラウドファンディングとオープンな開発スタイルを採用していますが、開発の区切りというものは存在しますか?

RG:
SotAは毎月の定期リリースアップデートを行っていて、今はリリース39まで進行しています。我々は毎月のリリースを欠かさず行ってきました。広義のコマーシャルロンチといえば、ニワトリとイスとトーチの部屋があるだけのR0テストがそれの始まりといえるかもしれません。
また、昨年の夏にファイナルワイプを行いました。そして今年の夏にストーリーコンテンツの一通りの実装を完了する予定です。これは7月までに行われるでしょう。そして最終的な商業ロンチを今年の秋に予定しています。これらのイベントがSotAの開発の区切り(マイルストーン)と呼べるでしょう。

IGN:
リチャード・ギャリオット氏が古今東西でリスペクトしているゲームデザイナーはいますか?

RG:
ゲームアイデアのインスピレーションは、他社のゲームではなく、ほかの分野からの刺激によって得られることが多いですが、ウィル・ライトはリスペクトするデザイナーの一人です(代表作にシムシリーズなど)。彼は新しいジャンルの開拓者ですから。私はRPGジャンルがメインで、しかもハック&スラッシュ的な戦闘バランス取りなどが非常に苦手です。その代わり、広大な自由度の高いサンドボックスの空間と、徳をテーマにしたストーリーテリングを得意としています。しかし、ウィルはジャンルに縛られずに様々な新しいゲーム境地を開拓していく才能があります。

また私はDOOMやQUAKEシリーズからもインスピレーションを受けています。id sofwareのジョン(・カーマック)氏とは、宇宙産業への投資という共通の興味もありますしね。業界人であっても、ゲーム一辺倒ではなく、他の業界への興味を持つことは大切だと思っています。

また、SPACE Xのイーロンマスクと話をしたときに、私(リチャード)にはビジネスパートナーが必要だと話をしたことがあります。私はゲームデザインに集中し、会社経営のほうはかつては兄が行ってくれていて、彼のリタイア後は妻がそのパートナーを務めてくれています。しかし、イーロンはビジネス面でも技術面でも両方通じていますからね。

IGN:
今後5年、10年のRPG業界の行く末はどうお考えですか?

RG:
私がゲーム業界に対して悲観的に考えているポイントは、増大し続ける必要ハードウェア性能についてです。私が最初に感銘を受けたゲームはアップルⅡの"escape!"です。当時のハードウェア性能で3D描画を志向した作品でした。射撃のないFPS、といった感じですね。そしてハードウェアの性能は上がっていき、ゲームの容量も上がっていきます。FD(フロッピーディスク)、5インチFD、3.5インチFD、ハードディスクドライブ、CD-ROM、そして3Dビデオカードにインターネットの登場。これらの画期的なブレイクスルーの中、新しいハードウェアに登場するヒットゲームは、相変わらずおなじみのジャンルのタイトルが装いを変えただけ、という始末です。

当初のFPSのように迷路をめぐるだけのものから、ワープポータルや武器や体力回復のメディキットが登場し、キャラクタの成長要素や会話コンテンツなどが時間が経つにつれて付け足されていきました。それが今までのゲーム業界でいうところの成長だったわけですが、そういった肥大化する成長とは別の方向の進化を考えるべき時だと思っています。

映画とゲームの比較に関しては以前もお話ししましたが、映画のほとんどは見るのが時間のムダな駄作です。しかし、一部の殿堂入りの作品群、すなわち、ひとくちに映画といっても、ホラー映画、冒険映画など、その作品をもってしてジャンルを開拓せしめたような作品は名作です。また、映画を志向したゲームの多くが失敗に至っているのもご存じだと思います。
ゲーム作品ではそういった金字塔的な作品はそれほど数多くなく、ジャンルの開拓よりは、既存のジャンルの再生産がまだまだ多いのが現状です。映画や本といったメディアに比べて、まだまだゲームにおけるジャンルは未開拓なところが多く残されています。

いつかハードウェアの進化がムーアの法則から解き放たれて、誰でも同等のハードウェアを使ってゲームを作ったりプレイすることができる時代が訪れたときに、ゲームというメディアの成熟が始まるのではないかと思っています。どのゲームも同等のグラフィックを持つようになれば、あとはゲームの"深さ"で勝負をするようになります。そしてその中で、ゲームの"深さ"がテレビCMにおける焦点になった時代に、我々が消費者から選ばれるようなタイトルを作ることができれば、と考えています。

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